鎌倉街道を往く

毛呂山町に残る鎌倉街道遺構
   毛呂山町に残る鎌倉街道遺構(H23.8.7撮影)

私が鎌倉街道に興味を抱いたのは、毛呂山町内に今も残る数少ない鎌倉街道の遺構があり、そこを訪ねたとき、その佇まいに中世のロマンを感じたのがきっかけである。

 

その後、先人の資料を頼りに暇を見ては近間の所から訪ねてきたが、平成22年4月、毛呂山町歴史民族資料館に事務局を置く「古道を楽しむ会」を知り入会した。

 

「古道を楽しむ会」では、高崎から鎌倉までを10Km前後の区間に区切り、月に1区間づつ歩く例会が実施されているが、まだ3度ほどしか参加していない。

 

いつまでかかるか分からないが、鎌倉街道上道(カミツミチ)を、気の向くままに鎌倉まで辿ってみたいと思う。

 

(鎌倉街道の道筋)

 

鎌倉街道は、名のとおり鎌倉幕府と関東各地の勢力圏とを結んでいた幹線道路であり、上道(カミツミチ)中道(ナカツミチ)下道(シモツミチ)が知られているが、その一つである上道(カミツミチ)は、越後、信濃、北武蔵の要衝を発し鎌倉へと直線的に南下している。 

 

利根川を渡った上道(カミツミチ)は、児玉、寄居、小川、武蔵嵐山、鳩山を経て毛呂山を南北に貫き、日高、狭山、入間、所沢を経由して、東京都に入り、国分寺、町田、大和を経て鎌倉に至る。

 

また、この幹線道へは何本もの枝道が合流して鎌倉に集中している。