鎌倉街道を往く

日高市から狭山市へ

東武越生線「西大家駅」を過ぎ、車が一台通れるほどの農道をしばらく進むと、古道は鶴ヶ島市から日高市域に入ります。(写真:上左)

 

私が訪ねた1月には、西の方角に雪を冠った富士山が見え隠れし(写真:上中)、再び道は狭く街道の気配が蘇ります。

古道を行く往時の武士団は、疎林のかなたに冨士を望み何を思ったのでしょうか。

 

道なりに進めば、道は急に広くなり日高市旭台地区に入ります。

昔飛行場が建設され、今はきれいな升目状に区画され、農家や誘致された工場が並ぶこの地域からは、街道の気配が全く感じられません。

 

とにかく古道の痕跡の残る女影ヶ原の方角を目指して進むと、やがて道は小畔川に向かって下っていきます。 目印は、南北に走る送電線の赤白鉄塔方向です。 

 

小畔川に架かる境橋(写真:下左)を渡り、JR川越線の女影踏切(写真:下中)をこえ、県道15号線を横切り、2車線道路と別れて細くなる道を真直ぐに進むと霞野神社(写真:下右)前に出ます。

 

霞野神社前には「鎌倉街道」と書かれた標柱があり、「史跡女影原の古戦場跡」と書かれた石柱が建っています。  このあたり一帯を女影ヶ原と呼ぶのでしょうか。

日高市内の古道周辺地図

霞野神社の周りを、高萩団地が取り囲んでいます。

高萩団地の南北には小流(小畔川支流)が流れており、団地一帯は丘状になっています。

 

古道は、霞野神社の前(写真;上左)を通り、高萩団地の中央をまっすぐにつけ抜けて行きます。 

霞野神社前から緩やかな上り坂となり、団地の入り口部分までの約100mの間に、深さ約1mの掘割状の箇所(写真;上中)があります。 鎌倉街道の名残りなのでしょうか。

 

両側に民家が建て込んだ団地を突き抜けると、古道は坂を下って2車線道と合流し、団地南側(写真;上右)の小流を渡ります。

小流の袂には、「鎌倉街道上道碑」(写真;下左)が建てられています。

 

古道は、歩道のない2車線道となり、再び上り坂を進みます、

鎌倉街道は、高麗川からこの先の入間川までの間に数本の小流と交差しますがその度に緩やかに上り下りを繰り返します。

 

坂を上り切った所で、古道は国道407号線と交差します。 その交差点が「鎌倉街道」と名付けられているところからも、日高の人々の「鎌倉街道」への思いが感じられます。

振り返れば、街道に並立する電柱の先に秩父の山々が遠望できます。 

 

街道は南東に向かっています。

南小畔川に向かって下り、圏央自動車道のガードくぐり、再び緩やかに上れば、智光山公園です。
「鎌倉街道」交差点からは、約1.5キロメートルほどです。

 

原生林を残す智光山公園は、冬の光をたっぷり浴びて静かに佇んでいました。

往時の人々は、鬱蒼とした智光山公園のような広葉樹林の中を行き来していたのでしょうか。

 

西大家駅を9時過ぎに出発すれば、ちょうどお昼時、持参したおにぎりを頬張りました。

これから先、古道は狭山市に入り、市街地の中を進み入間川へと進みます。