女影ヶ原の戦い

霞野神社一帯が、女影ヶ原と呼ばれた丘陵地帯です。
霞野神社の片隅に「史跡女影ヶ原古戦場跡」の石柱が建っており、次のような「女影ヶ原古戦場の記」が記述れています。

女影ヶ原古戦場跡の碑
女影ヶ原古戦場跡の碑

           「女影ヶ原古戦場の記」
              (日高市教育委員会)

北条高時滅亡後、その子相模二郎時行は、信州に潜伏して兵備を整え甲州の覇者となり、機に乗じて上野国を風靡し、進んで武蔵国に入り鎌倉幕府を衝こうとした。

 

幕府は、この報せを聞き、足利直義と渋川次郎大輔義季、岩松兵部経家等を主将として軍兵を率い、建武2年(1335年)7月22日 女影ヶ原の要地を占め防御の陣地4隊を張らせて待機したが、反って北條軍のため撃破された古戦場である。

 

この付近に散在する旗塚は、当時の遺跡であって、小字 天神、寄脇、諏訪山、諏訪前、等4ヶ所がのこっている。