鎌倉街道を往く

毛呂山町から(坂戸市・鶴ヶ島市を経て)日高市へ

1、毛呂山町大類地区の遺構

 

鳩山町から毛呂山町に入った古道(写真:上中)は、毛呂山町リサイクルセンターあたりで越辺川を渡河します。

現在は橋(写真:上中)が架かっていますが、往時はリサイクルセンター周辺が中州になっており渡河には適していたそうです。橋の下手に魚道(写真:上右)が整備されていますが、この辺りを渡河したのでしょうか。

 

鎌倉街道の標柱(写真:下中)に次の記述があります。

ここの前を南北に通るのが鎌倉街道上道の旧道である。うしろの塚は昔大薬寺があった所。この標識に向かって左手に進めば、苦林と川角の大字堺に沿い、越辺川を渡り、鳩山町に入り、笛吹峠に出る。この辺りの台地を削り込んだ跡が旧道の西側に残っているが、東側は崩されてしまって残っていない。
この街道が作られた当時は越辺川の水は、今より北の今宿のすぐ下を流れていたらしく、向こう岸は急な崖になっている。リサイクルセンター周辺は中州。   

 

古道の両側には、椚などの落葉樹や植林され杉の林が続いていますが、往時には大木が密生していたのでしょうか? その中を黙々と兵は鎌倉に向かったのでしょうか? 現状からはその情景が浮かんで来ません。

毛呂山町内の古道周辺地図

2、市場地区遺構から高麗川渡河地点(森戸橋付近)へ

 

県道39号線を横切った古道は、ほぼ真直ぐに南に伸びて市場地区の遺構へと続きます。 

市場地区と西大久保地区の境界沿い約1kmに亘って現存する遺構(写真:上左)は、今も生活道路として使われています。

 

県道から約400m程南に進んだ古道脇に「鎌倉街道」の案内標柱が建っており、標柱には次のように記述されています。 (写真:上中)

 

標柱の前を南北に鎌倉街道が通っていた。
右(南)にたどれば葛川・高麗川を越えて日高市の女影ヶ原古戦場跡に行く。
左は、 北方の越辺川に出る。
昭和57年に県立歴史資料館により旧道の試掘調査が行われた。
堆積土の下には幅約5メートルの旧道面があり、両側には排水溝があった。
低湿のため長期間使用されず、今は旧道に大木が生えている。

 

平成23年、毛呂山町教育委員会により、樹を切り倒して発掘調査(写真:上右および下左)が行われました。

発掘された先の古道は、農地開墾の過程でその姿を消していったと思われます。

 

ここからは一時古道を離れて迂回します。約400m道なりに行けば、県道114号線に出ます(写真:下中)。

県道沿いに約600m程進み右折、市場神社の東側を回り込むように高麗川の河岸に続く道を下れば、そこは坂戸市域です。

 

坂戸市森戸付近(写真:下右)で高麗川を渡河し、東武越生線「西大家駅」の脇を通り過ぎ、古道は鶴ヶ島市域をかすめて日高市域に入ります。です。

 

この辺りは行政域が入り組んでおりめまぐるしく変わります。